アナルコ・キャピタリズム研究(仮)

★無政府資本主義の理論(経済学)◆リバタリアニズム▽海外リバタリアンの文献翻訳■時事問題・日常生活▼ロンドン暮らし

良い経済学と悪い経済学の違い

新たな経済学的誤謬が日々生み出される主な要因として、キリのない私益の弁護という一つ目の理由に加えて、二つ目の理由がある。すなわち、実施される政策の短期的な効果だけ、また特定のグループへの効果だけを見てしまうという人間の執着的な傾向であり、また政策の長期的な効果を特定のグループについてだけ考えて、すべてのグループについて調べようとしないという怠慢である。それが二次的な結果を見過ごすという過誤である。

 

これこそが良い経済学と悪い経済学の違いだ。悪い経済学者は目にすぐ飛び込んでくるものだけを見る。良い経済学者はその向こうにあるものも見る。悪い経済学者は提案された方針の直接的な効果だけを見る。良い経済学者はその長期的かつ間接的な効果も見る。悪い経済学者は与えられた政策に関して特定のグループについての結果と効果だけを見る。良い経済学者はすべてのグループへの効果を調べる。

 

Henry Hazlitt

ECONOMICS IN ONE LESSON

1. The Lesson

より

インド首相マンモハン・シンの改革

 

マクドナルドは官僚制?!で紹介されていた中野剛志『官僚の反逆』をさっそく読んでみました。主流派経済学は科学でないというくだりはなかなか的を得ていると思いましたが、アメリカの経済学Ph.D.マクドナルドだという一節にはさすがに笑いました。庶民にはなかなか手が届かないものだと思いますが。

 

アメリカ経済学がダメならやはりイギリスでしょうか。オックスフォードの経済学Ph.D.を持つインドのシン首相。ケンブリッジ時代は「アダム・スミス賞」も獲った大秀才です。

 

 

 

Wikipediaの以下の記述を読むと、90年代以降のインドの躍進は自由市場を次々に導入した彼の功績だと言えます。

 

  • 1991年6月、国民会議派ナラシンハ・ラーオ政権で大蔵大臣に就任した。当時インドは経済危機に直面していたが、シンは首相のラーオとともに経済危機克服に乗り出し、今までインド政府が行ってきた社会主義的な計画経済の代わりに市場主義経済を導入した。そして多岐にわたる経済改革を推進し、産業ライセンス制度の撤廃や対内直接投資の規制緩和国営企業の民営化などを行った。結果としてインド経済は危機を克服し、実質経済成長率も1991年には2.1%だったものが1996年には7.6%にまで伸びた[5]。この功績などにより、1997年に第2回日経アジア賞を受賞している。

 

最近では

 

インド上院が小売り外資規制緩和を可決、シン政権は改革続行へ(ロイター-2012/12/07

 

という良いニュースがありました。

 

これまで規制されていた10億人から成る小売りマーケットを開放することの正なる影響は巨大です。

 

インド 小売業に“ビックバン” 外資参入の衝撃(NHK 2012年11月28日(水)

 

によるとシン首相は例えば次のようなことを述べています。

 

  • 「わが国では倉庫や運搬の設備が十分に整っていないため、多くの農産物が傷み廃棄されている。小売業に外国資本が参入すれば、物流整備を進めてくれるはずだ。」

 

インドには小売業者だけで4000万人もいるそうで、その大反発をクリアしたというのはすごいです。聖なる領域として守られ既得権益を得てきた古い者たちが去り、新しい者たちが10億人の消費者の生活を大きく改善するでしょう。

市場における民主主義とは

何百万人もの人々がピンカピンカを飲むことを好む。世界を股にかけるピンカピンカ・カンパニーの飲料だ。何百万人もの人々が、物語や神秘的な絵、タブロイド紙、闘牛、ボクシング、ウイスキー、タバコ、チューインガムを好む。何百万人もの人々が、武装し戦争することを切望して政府に投票する。そうして、これらの需要を満たすのに必要な、ありとあらゆるものを最善・最安の方法で提供する企業家が裕福になることに成功する。市場経済という枠組みの中では、重要なのは学術的な価値判断でなく、買うか買わないかということによって人々が実際に顕示する評価である。

 

市場システムの不公平さに愚痴を言う人に対しては、ただ一つのアドバイスが可能である。もしあなたが富を得たいなら、安い何か、あるいは人々がより好む何かを提供して大衆を満足させよ。別の飲料をミックスしてピンカピンカに取って代わるよう試みよ。法の下の平等は、百万長者全員に挑戦する権利をあなたに与えてくれる。もし政府による制限に邪魔されない市場において、あなたがチョコレート王や映画スター、ボクシングチャンピオンを負かせないなら、それはあなたの責任なのだ。

 

しかし、もしあなたが、衣料品屋かプロボクサーになることで得られるかもしれない富よりも、詩や哲学を書くことで引き出せるかもしれない満足の方を好むならば、あなたは自由にそうすることができる。ただ当然であるが、そうすればあなたは大多数に奉仕する職業の人ほどにはお金を稼げないだろう。というのも、そのようなことが市場における経済的民主主義のルールだからだ。少数の需要しか満たせない者は、より多数の需要を満たす者よりも、少ない票つまりお金しか集めることができない。お金を稼ぐということでは、映画スターは哲学者をはるかに凌ぎ、ピンカピンカの製造者は交響曲の作曲家に勝るのだ。

 

Ludwig von Mises

THE ANTI-CAPITALISTIC MENTALITY  

Status Society and Capitalism

より

消費者が君主になる資本主義社会

資本主義と敵対する保守主義者と「進歩」主義者は、古い基準に関して意見の一致を見ない一方で、資本主義社会の基準をダメだと決めつけるということで完全に一致している。保守主義者と進歩主義者は、彼らの仲間から高い評価を受けている人ではなく、つまらない価値のない人間が富と名声を得ていると思っている。そして両集団とも、レッセフェール資本主義にはびこる明らかに不公正な「分配」方法に代わる、より公正な手段を外目では探している。

 

さて、規制されない資本主義のもとでは、不変的な価値基準ということから見て好まれるべき人物が、最も良い人生を送るのだと、そのように主張した人間は未だかつていない。市場の資本主義的民主主義がもたらすのは、人間がその「真なる」美徳と生来の価値と道徳的高貴さに応じて報われるということではない。人間の豊かさを決めるのは、正義の「絶対的」原則からの貢献評価ではなく、個人的な需要と願望と目的という自身の尺度を排他的に適用する、彼の仲間たち側の評価なのだ。これこそがまさに市場の民主的システムということが意味するものなのである。消費者が最高位、すなわち君主だ。彼らは満足することを望む。

 

Ludwig von Mises

THE ANTI-CAPITALISTIC MENTALITY

Status Society and Capitalism

より

民主主義―現代の世俗的な宗教

およそすべての民主主義社会が官僚制と規制熱の過剰に苦しんでいる。国家の触手は全市民の生活に入り込んでくる。ありとあらゆるものにルールと規制がある。そしてすべての問題が、真の解決案でなくさらなる規制とルールによって対処されるのだ。

 

民主主義が現代の世俗的な宗教になったというのは言い過ぎではない。

 

Frank Karsten and Karel Beckman

BEYOND DEMOCRACY: WHY DEMOCRACY DOES NOT LEAD TO SOLIDARITY, PROSPERITY AND LIBERTY BUT TO SOCIAL CONFLICT, RUNAWAY SPENDING AND TYRANNICAL GOVERNMENT

Introduction

より

行列―タイムリッチだけが優遇される悪い市場

割当制度は必要である。なぜなら資源と、それゆえ人々が作れる生産物は、需要に対して不足しているからである。さらに、皆が自分の好むように資源を使いたいと思うなら、その管理権を得るために競争しなければならない。

 

割当メカニズムが競争の次元を決める。例えば「早い者勝ち」とは人々が列の先頭近くにいたいということだ。だがそれは競争が列を作ることと同じ意味になる。なぜなら商品が欲しい人は他の人が来る前に、我先に並ぶインセンティブを持つからだ。この割当プロセスは貴重な資源を消費する。すなわち消費者が順番待ちに使う時間は、実際商品やサービスを生産することに使えたのだ。さらに、時間に相対的に高い価値をおく人々は行列に並ばないだろう(彼らは商品を買わないし、おそらく闇マーケットに向かうこともないだろうし、あるいはこの割当プロセスに影響を与えようとして政界に行くこともないだろう)。それゆえ順番待ちが必要なものというのは、それに最高に価値をおく人へ割り当てられる保証がまったくないのである。というよりむしろ、時間に最も低い価値をおく人の所に優先的に行ってしまうのだ。

 

Bruce Benson

TO SERVE AND PROTECT: PRIVATIZATION AND COMMUNITY IN CRIMINAL JUSTICE

Rationing and Competition

より

政治に参加することの不毛さ

あなたに政府についての知識が欠けていても何の不思議もない。実際、完全に合理的である。というのは、政府のパフォーマンスを効果的に評価しようとして情報を入手するインセンティブは、市民にとってほとんどないからである。たとえ民主主義であったとしてもである。結局のところ、情報探索の面倒さを踏まえれば、個人が政府を評価することに何か重大な意義があるとは、けっして言えないのだ。デビッド・フリードマンは次のように言う。

 

政府を買うように私たちが車を買うと想像してみよ。1万人の人が集まり、それぞれ一番好きな車に投票して車を選ぶことに同意する。どの車が勝とうとも、皆その車を買わなければならない。誰にとっても、どの車がベストか頭を悩ませるのは割に合わない。私が何に投票しようと、私の車は他の投票者によって選ばれるからだ。そのような車購入制度のもとでは、あっという間に車の品質は下がってしまうだろう。

 

これこそが政治の市場で物を買う方法なのだ。私は何か他の選択肢と比較できないだけでなく、仮にできたとしても、そうすること自体、私にとって時間の無駄なのである。このことは政治の市場で売られている物の品質と何か関係があるかもしれない。(「買ってしまってからでは遅い」1973: 180-81)

 

Bruce Benson

TO SERVE AND PROTECT: PRIVATIZATION AND COMMUNITY IN CRIMINAL JUSTICE

Information and Monitoring of Performance

より