アナルコ・キャピタリズム研究(仮)

★無政府資本主義の理論(経済学)◆リバタリアニズム▽海外リバタリアンの文献翻訳■時事問題・日常生活▼ロンドン暮らし

知的所有権を擁護する功利主義の誤り

知的所有権を擁護する人は功利主義的論拠に立ってそれを説明することが多い。彼の主張はこうである。すなわち、さらなるイノベーションと創造を促すという「目的」は、いっけん不道徳的な「手段」―自分の物理的な財産を思い通りに使うという個人の自由を制限する―を正当化する。だがしかし、厳密な功利主義から権利や法を正当化することには3つの基本的な問題がある。

 

まず始めに、富や効用はある法律によって最大化されうると仮定しよう。つまり「パイのサイズ」は大きくなる。しかし、仮にそうだとしてもその法律は正当化されないのだ。たとえば、社会の1%の富裕層がもつ財産を、半分だけ10%の貧困層へ再分配すれば、社会全体の厚生は高まるのだと主張することもできよう。だが、Aの財産の一部を盗みBに与えることが、Bの厚生をAの減少分よりも増加させるとしても(そのような比較が仮に可能だとする)、これはAの財産を盗むことを正当化するものではない。富の最大化は法の目的ではない。正義―人には与えられるべきものが与えられる―こそが目的である。たとえ知的所有権によって全体の富が増大するとしても、この彼の言うところの望ましい結果のために、自分の財産を自分のために使用するという個人の権利を非倫理的に侵害してもいいことにはならないのである。

 

N. Stephan Kinsella

AGAINST INTELLECTUAL PROPERTY

Utilitarian Defenses of IP

より

希少性という問題がない世界では財産に関するルールは不要である

だがしかし、次のことは明らかであろう。つまり、財産権の由来、理由、機能を所与とすれば、それは希少な資源についてのみ当てはまる。もし我々がエデンの園(地上の楽園)にいて、土地も他のものも無尽蔵に持つとすれば、希少性という問題は存在しないし、それゆえ財産に関するルールも必要ない。そもそも財産という概念が意味を持たない。衝突という事態もなければ、権利という着想もない。もしあなたが私の芝刈り機を奪ったとしても、私が新しいものを魔法で一瞬のうちに出せるなら、それはもはや奪ったとも言えない。このような状況で芝刈り機を取ることは「盗み」にあたらない。財産権は無限に豊富なものに対しては当てはまらない。なぜならばそのようなものに関し、衝突という事象は存在しえないからである。

 

N. Stephan Kinsella

AGAINST INTELLECTUAL PROPERTY

Rights: Property and Scarcity

より

良い塀は良い隣人を作る

そこで自然界というのは経済的に希少なものを含んでいるわけである。私が何かを使うことは、あなたがそれを使うことと衝突する(あなたの使用を排除する)。逆もまた同じである。財産権の機能は、特定の個人(所有者)に排他的な所有権を割り当てることによって、希少な資源に関して個人間の衝突を予防するということである。この機能が働くためには、財産権は「可視的」かつ「公正」でなければならない。明らかに、個人が所有する財産を別の人が使わないようにするには、財産の境界線あるいは財産権がはっきりしている必要がある。これが可視的ということだ。財産権は客観的かつ明示的でなければならない。言い換えれば「良い塀は良い隣人を作る」ということだ。

 

N. Stephan Kinsella

AGAINST INTELLECTUAL PROPERTY

Rights: Property and Scarcity

より

大衆マルクス経済学の間違い

私は超常現象の類は信じませんが、確かにマルクスの亡霊が有名経済学者を乗っ取っています。

 

by Rick Olson 21世紀のAIロボットが蒸し返す、19世紀のマルクス理論 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34312 <現在の米国では、企業の利益が過去最高を記録する一方で、労働者の給与や福利厚生費は下落しているという。ちょうど今から1世紀以上も昔、カール・マルクスが指摘したように、資本家階層が肥太り、労働者階級が搾取されるような状況が、今、再現されているという。> <現代科学の粋を集めたAIマシンが弁護士やトレーダー、エンジニアのような頭脳労働者の雇用を奪い、その所得水準を抑えるという懸念が生じつつある。それによって得をするのは企業(資本家)だけ、という構図である。> いつも資本家対労働者という構図で捉えるのがすべての間違いの始まりです。二分法なら生産者対収奪者という図式で考えることが正しく、そして役に立ちます。ここで生産者とは資本家と労働者であり、収奪者とは政府とそのグルたちです。「労働者を搾取」しているのは資本家ではなく国家とその一味なのです。

ネットとケータイ―私たちを国家から解放してくれた自由のための技術

民間セクターが音声コミュニケーションを完全に私有化できる能力を得たのは少なくとも1947年以降であるが、政府があまりにも電波を独り占めしてしまったために実際にそうすることはできなかった。1994年になって初めて、コミュニケーション分野で革命を起こすのに必要なものを政府様が民間企業に与えて下さったのだ。

 

こういう理由から、携帯電話をインターネットと併せて、自由のためのテクノロジーと見ることが有用である。いずれも民間セクターが民間セクターのために発展させた。いずれも、図々しく何もかも我が物にする政府に対しての制度的な反乱ということであり、また社会の「指揮所」をコントロールするということでもある。ケータイとネットは国家が永遠に恨み続けるであろう解放のための手段・手法なのである。

 

Jeffrey Tucker

BOURBON FOR BREAKFAST: LIVING OUTSIDE THE STATIST QUO

29. The Myth of the Cell-Phone Addiction

より

電子媒体―出版における革命

最近の子どもは親に対して「ママたちはインターネットの前に生まれたの?」などと聞く。子どもたちはネット以前に生活があったということを薄々知ってはいるが、それをまるで自動車や水道以前の生活と同じものかのように考えている。これはすごいことである。デジタルメディアの出現は出版業における完全な革命となった。今ではグーテンベルクの活字が進歩のただの一段階に見えるようになったのである。

 

Jeffrey Tucker

BOURBON FOR BREAKFAST: LIVING OUTSIDE THE STATIST QUO

28. Mises.org in the Context of Publisging History

より

無限に複製可能なものに所有権はない

しかし知的所有権の保護は普通財産の保護となんら変わるところはないと反論する人もいよう。それは違う。真の財産は不足している。知的所有権の対象になるものは不足していない。ステファン・キンセラはそう説明する。画像、アイデア、音、ページ上の文字の配列、これらは無限に複製可能である。その理由のため、それらは所有されるべきであるとは考えられないのである。

 

Jeffrey Tucker

BOURBON FOR BREAKFAST: LIVING OUTSIDE THE STATIST QUO

26. Is Intellectual Property the Key to Success?

より