知的所有権を擁護する功利主義の誤り
知的所有権を擁護する人は功利主義的論拠に立ってそれを説明することが多い。彼の主張はこうである。すなわち、さらなるイノベーションと創造を促すという「目的」は、いっけん不道徳的な「手段」―自分の物理的な財産を思い通りに使うという個人の自由を制限する―を正当化する。だがしかし、厳密な功利主義から権利や法を正当化することには3つの基本的な問題がある。
まず始めに、富や効用はある法律によって最大化されうると仮定しよう。つまり「パイのサイズ」は大きくなる。しかし、仮にそうだとしてもその法律は正当化されないのだ。たとえば、社会の1%の富裕層がもつ財産を、半分だけ10%の貧困層へ再分配すれば、社会全体の厚生は高まるのだと主張することもできよう。だが、Aの財産の一部を盗みBに与えることが、Bの厚生をAの減少分よりも増加させるとしても(そのような比較が仮に可能だとする)、これはAの財産を盗むことを正当化するものではない。富の最大化は法の目的ではない。正義―人には与えられるべきものが与えられる―こそが目的である。たとえ知的所有権によって全体の富が増大するとしても、この彼の言うところの望ましい結果のために、自分の財産を自分のために使用するという個人の権利を非倫理的に侵害してもいいことにはならないのである。
N. Stephan Kinsella
AGAINST INTELLECTUAL PROPERTY
Utilitarian Defenses of IP
より