アナルコ・キャピタリズム研究(仮)

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民主主義の神話その10: 平和を促進し、政治腐敗との闘いにも資する

国際政治においては、民主主義国家は良い奴で、そうでないのは悪い奴ということになっている。民主主義国家は平和を愛しているのだ。でもそれは本当だろうか?

 

民主主義が最も進んだ国であるアメリカはこれまでに数々の戦争を起こしてきている。無防備な市民を爆撃したし、原爆も落とした。米軍は世界100ヶ国に700以上の基地をもっている。

 

民主主義国イギリスはアフガニスタンやインド、ケニアなど、多くの植民地の独立を抑えた。やはり民主主義国家のオランダはインドネシアの独立を、フランスはインドシナの独立を阻んだ。ベルギーやフランスのような民主主義国はアフリカで多くの汚い戦争を戦った。近年でもアメリカはイラクアフガニスタンと戦争を行ない、何千人もの無実の人々を殺した。

 

第2次世界大戦以降、西側の民主主義諸国は戦争をしておらず、その大きな理由はNATOだと思われるが(別に「マクドナルドのある国は互いに戦争をしない」という法則もある)、逆に言うと、非民主主義国家に対する戦争は容認されており、もし世界のすべての国が民主主義国家なら戦争は起こらないという考えが背後にある。

 

むしろ民主主義は戦争を促進していると言えるかもしれない。民主主義が普及する前の18世紀までは、徴兵制度もなければ、人々が他国を憎むということもなかった。民主主義のナショナリスト国家がこれを変えた。国家による徴兵はフランス革命のフランスで初めて行なわれたのだ。

 

民主主義とナショナリズムを同列に扱うのはおかしいと思うかもしれない。だがこの2つのイデオロギーは、ある理由で同時に広まったものなのである。民主主義は「人々による」政府という意味であるが、この考えがナショナリズムを擁護した。すなわち、民主主義的権利には民主主義的義務が伴う。一票を投じる権利があるのだから、引き換えに国のために戦う義務がある、というわけだ。

 

第1次世界大戦―それは20世紀の全体主義国家と第2次世界大戦につながった―は、大部分が民主主義国家によって行なわれたということを忘れてはいけない。そこではナショナリズム民主主義が古典的リベラリズムを追いやってしまったのだ。

 

アメリカは「世界を民主主義のために安全にしよう」というウィルソンの有名なスローガンとともに参戦したが、もしアメリカ市民がリバタリアン的な孤立主義を守っていれば、すなわち建国の父たちに忠実であったなら参戦はしなかっただろう。

 

さて民主主義が政治的透明性や説明責任を保証するとはよく言われることである。だが、事実は、選挙で選ばれるために票を必要とし、そのために腐敗するということだ。利益誘導型政治はアメリカに広く蔓延している。

 

いっぽうで発展途上国の政治も民主主義と手を取り合いながら腐敗している。ロシアやイタリア、フランス、ギリシャも同じである。いずれにせよ政府が力をもつと政治腐敗は避けられないのである。

 

(参考: Frank Karsten, Karel Beckman, Beyond Democracy, Myth 10 - Democracy promotes peace and helps to fight corruption)