アナルコ・キャピタリズム研究(仮)

★無政府資本主義の理論(経済学)◆リバタリアニズム▽海外リバタリアンの文献翻訳■時事問題・日常生活▼ロンドン暮らし

民主主義の神話その9: 自由と寛容に等しい

自由と民主主義はセットで来るかのように思っている人は多い。じっさいは互いに正反対のものである。民主主義では政府の決定から逃れられる人はいないのだ。命令に従わなければ罰せられる。この意味では独裁制と基本的に違いはない。

 

民主主義がまだ崇められていなかったころ、アリストテレスはこう書いた。「制限されない民主主義は、少数による大多数への暴政と変わるところはない。」

 

自由とは多数派に従わなくていいということであり、自分に決定権があるということだ。

 

人々の自由な契約への干渉は、ある人々を利するかもしれないが、必ずある人々に害を与える。たとえば、人々を解雇から守ることはある人々に利益を与えるが、経営者に新しい人々を雇用する気をなくさせる。厳しい労働法のもとでは、できるだけ人を雇わないのが得策になる。景気のいい時でさえもだ。低スキルの労働者はとりわけ排除されやすくなる。仕事を持つ人々も高失業率に怯えて転職を躊躇するようになる。

 

民主主義は、国家が人々に行動を命令するというだけではない。あらゆる物事について、国家から許可を得なければならないのだ。われわれの自由は国家によって認められているのであり、いつでも取り消される。

 

スウェーデンでは、高アルコールの酒は国営の店からしか買えない。多くの国で売春は違法だが、ノルウェー人の場合はとくに、海外で買春することも違法である。オランダでは家の外装を変えるのに政府の許可がいる。これらのことは、独裁政治であり、自由ではない。

 

民主主義では少数派に対する寛容はなく、とりわけ言論の自由もない。どんな民主主義国家も、言論の自由を制限するあらゆる法律がある。オランダでは女王を侮辱することは禁止されている。アメリカでは「わいせつ」「名誉毀損」「扇動」「ハラスメント」「企業秘密」「機密文書」「著作権」など言論の自由についてじつに様々な例外規定がある。

 

(参考: Frank Karsten, Karel Beckman, Beyond Democracy, Myth 9 - Democracy equals freedom and tolerance)