アナルコ・キャピタリズム研究(仮)

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民主主義の神話その8: 連帯感のために必要である

連帯感と民主主義はよく結び付けられるが、それは違う。民主主義とは言ってみれば税金略奪闘争における適者生存の論理なのだから、連帯感とはまったく逆だとも言える。

 

民主主義のもと、みんなで物事を決定しなければ、国民の一体感が失われると思うかもしれない。たしかにある意味において国家はコミュニティの一種であり、それは良いものでもありうる。けっきょく人は一人で生きられないし、経済的理由からも仲間を作る必要があるからだ。

 

だが、そういう一体感のために、はたして民主主義というのは必要なものなのだろうか?

 

人々は言語、文化、そして歴史を共有する。しかし、これらは何ら民主主義とは関係がない。民主主義より前に存在したし、これからも民主主義なしで存在できる。

 

同時に、どんな国でも多くの地域的・民族的コミュニティが国内に存在し、それぞれが強い連帯をもっている。しかし、これらは民主主義的でない社会、すなわち自由社会と共存できるものなのだ。

 

重要な点は、これらの地域的・民族的コミュニティが自発的なつながりであるということである。つまり政府によって強制されたものではない。

 

たとえば入会したテニスクラブが合わなかったら、いつでもやめられるし、あるいは自分でクラブを立ち上げることができる。しかし、ある政府が管理する国にたまたま生まれついたら、そこから逃れることはできない。

 

民主主義とは強制的に会員にさせられる組織である。いっぽう、真のコミュニティとは自発的な参加に基づくものである。

 

(参考: Frank Karsten, Karel Beckman, Beyond Democracy, Myth 8 - Democracy is indispensable to a sense of community)