アナルコ・キャピタリズム研究(仮)

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民主主義の神話その7: 人々が調和の中で生きていくために必要不可欠である

友達のグループでどこのビーチに行くかを決めるという程度なら、多数決で解決が図れるかもしれない。でも大抵の場合、問題解決に多数決というのは必要がないし、実際、そういう民主主義は争いを引き起こすことのほうが多いのである。

 

民主主義は個人的な問題を集団的問題に変え、個人を民主的決定に従わせることで、調和というよりも、対立を生み出すのだ。

 

義務教育はどうあるべきだとか、高齢者医療にいくら使うべきだとか、あらゆることが「民主的」に決められる。そして人々の間に対立と緊張を引き起こすのである。だが本来、こういう問題は、人々に自分自身で選択させ、責任を取らせることで、簡単に解決できるのだ。

 

もし、どの種類のパンを毎日どれぐらいの量焼くべきかを民主的に決定するとしたらどうだろう。終わりのないロビー活動、政治キャンペーン、討論会、ミーティング、抗議集会が繰り広げられるだろう。全粒粉支持者が多数を得て、補助金を獲得し、ことによると白パンを禁止するかもしれない。

 

民主主義の不幸な帰結は、それが人々に集団を形成させやすいために、集団間の争いを必然的に招くということである。というのも多数派の集団に属しているときにのみ、あなたの考えが法律になるからだ。

 

老人は若者と対立し、農民は都市住民と対立し、移民は住民と対立し、キリスト教徒はイスラム教徒と対立し、信者は無神論者と対立し、労働者は経営者と対立する。あるグループは同性愛を罪であると考える一方、あるグループは学校教材に模範になるゲイを載せよと言う。考え方が違えば違うほど、大きな衝突になる。

 

信教の自由は何世紀も前に発展し、宗教間の対立を減らしてきた。だが今日、民主主義がそれと同じようにあらゆる分野で人々の間に緊張を生んでいるということに、ほとんどの人が気付いていないのである。

 

(参考: Frank Karsten, Karel Beckman, Beyond Democracy, Myth 7 - Democracy is necessary to live together in harmony)