アナルコ・キャピタリズム研究(仮)

★無政府資本主義の理論(経済学)◆リバタリアニズム▽海外リバタリアンの文献翻訳■時事問題・日常生活▼ロンドン暮らし

リバタリアンは大企業をどう見るか

ハリウッド映画を見ると、政府や警察と並んで、大企業も悪として描かれることが多い。それらを供給しているのはいつもWarner Bros.やUniversal、Sony Picturesといった大企業であるが。

 

政府による陰謀、警察など政府権力の腐敗、政府と結託する大企業や財閥、あるいはそれらの組み合わせというのはハリウッドの定番と言ってもいいだろう。庶民が悪だと信じているものvs庶民の正義という決まった型である。

 

いわゆる義賊ものも人気がある。私が最近見たのでは『パブリック・エネミーズ』で、これは大恐慌時代に実在した有名な銀行強盗の実話をモデルにしている。

 

ガイ・リッチー監督の『シャーロック・ホームズ』はオススメであるが、そのモデルはビクトリア朝時代に実在したと、今でも信じられることがある有名な私立探偵だ。

 

『V・フォー・ヴェンデッタ』は全体主義の恐怖政治に陥った近未来のイギリスが舞台になっている、リバタリアンが好きな映画である。これには政府が製薬企業とつるんでバイオテロを企てたというエピソードが出てくる。

 

リバタリアンが企業そのものを悪と見ることはないし、むしろ市場における効率的な結果とみなす。そして、ある種の効率的市場仮説のようなものから、大企業はどうしても非効率な経営をしてしまうために本来市場には存在しないだろうと述べ、結局のところ政府が作った事実上の参入規制による保護によってそれらの多くは成り立っているのだと言う。

 

リバタリアンは政府が作ったものではない、市場における自然な独占や寡占を認めるし、それへの介入は許さない。これと同様に、政府から独立したクリーンな大企業の存在を認める。大企業というのは政府と結びつきやすいゆえリバタリアンはそれを警戒する。しかし大企業を単体で、資本主義の権化として、悪と見る仕方をしない。

 

悪として描かれるべきなのは人の財産を不当に取り上げる存在である。それは市場における企業ではなく、政府である。資本主義ではなく民主主義なのだ。