都市が指向するリバタリアニズム。と自由移民制度
(参加しているグループのメールで、fuyushaさんが都市と移民について書いていました。そこで私の思う所をざっと。)
基本的に多くの市場にアクセスできる都市が裕福なのだと言える。商品・サービスと職業の選択肢がたくさんある。たとえば田舎に住み、仕方なくクルマに乗る人は豊かだとは言えない。都市に住み、電車・バスなど十分あるのにクルマに乗れる人は高所得者であり、豊かだと言える。近くにはたくさんのレストランがある。職業機会も多い。
選択の自由(ここではオプションの豊富さという意味)の程度。これが一般に農村より都市のほうが高い。自由への要求程度は、都市民のほうが高くなるはずだ。あるいは、より進んだ社会ほど。また進んでない社会ほど政治が大きいと言える。消費・生産に関わる割合という意味でだ。
市場化とは私有化を意味する。強制がなく選択できることを意味する。これは個人主義の行きつく所でもある。individual liberty。あるのは個人とその自由な結びつき、そして生活と財産だけである。
この考えを広げて行くと、次のようなことが言えます。
1. 市場に政治を持ち込もうとするのはウヨクもサヨクも同じだが、要するに視野が狭い、遅れた、集団主義の田舎もんの考え。
2. 都市は市場を拡大する傾向をもつから、移民を受け入れる。
3. 移民を入れないのはお前の土地なら勝手だが、それはお前の土地ではない。