アナルコ・キャピタリズム研究(仮)

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「悪法収容所」開設

大学時代の後輩からメールが来た。彼もやはりリバタリアンで、法と経済学の研究者をしている。なんでもずっとブログを書いているのだが、ほとんど読者がいない。そこで人気のある私のブログの一カテゴリを貸してくれという。何か色々ひどい勘違いをしていると思ったが、本気な感じだったのでメールの公開を条件に場所の提供をすることにした。

私も最近の日本の「統制」ぶりにはヤバさを感じているので、これぐらいの協力ならしよう。以下はメール本文のコピペである(太字部分は私)。まず「ブログの政治経済学」としておもしろいと思った。たしかにリバタリアニズムは政治的にも学問的にも消費財としても需要が小さい孤独な思想・哲学だ。でも個人の(小さな)多様な好みが満足されることこそリバタリアニズムなのである。

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「クソ規制収容所」。私は下品な言葉を使うのは好みませんが、直感的に思い浮かんだ言葉がこれなので採用しました。見る者の感情を大変に揺さぶり訴えかける名前だと我ながら思います。

何か最近毎日のように国家による規制のニュースを見る気がします。実際は昔からずっとそうであり、私もとくにリバタリアンとしての意識が高まってからは毎日のようにそれらに気付いているのですが、最近はその内容が特にひどくなっている気がするために、自分の中で開設の機運となりました。

「ソーセージと法律はそれが作られるところを見ないほうがよい」という優れた文句があります。政治が私的利益のために利用されることへの皮肉です。私は以前からリバタリアンとして意見したいニュースを自分のお気に入りにクリップしてきました。その多くが国家による規制についてのものであり、もしブログで取り上げる場合は特に法と経済学的な分析が行われたであろうものたちです。

ただ実際にほとんどのケースを自分のブログで取り上げることがなかったのは、あまりにもわかりやすい政府規制は取り上げるにも値せず、しかもそういうのを個別に取り上げていたらつまらないのにキリがないからです。わかりやすいということはいつも同じ理由付けがなされるということであり、よっぽど意外性がなければ、すなわち常識に反していたり、一般に容易に気付かれないと思われるものしか取り上げてきませんでした。

これは他の(とくに古い)リバタリアンブロガーの皆さんも同様だと思います。我々はすでにこれらを一網打尽にする理論であるリバタリアニズムを知っており、興味があるのは個人的にその理論への理解を深めることであり、そのため難しく新しいケースぐらいしかブログにしてきませんでした。

しかしリバタリアンでない者にとってはまずケーススタディが大事なのです。つまり世間一般に対し問題として提示するなら、あるいはもしリバタリアニズムの啓発・啓蒙を考えるなら、これらの個別ケースをすべて取り上げなければならないのです。

リバタリアニズムは研究されるべきものであり学問の一つです。趣味としてはなかなかいいものです。ただそれは思想でありその啓発・啓蒙というのは政治的行動にもなります。しかしリバタリアニズムは政治そのものに否定的であるので、あるいは消極的自由という価値を重んじるので、その政治的活動は他のどの思想よりも不毛な結果になる可能性が高いです。リバタリアニズムという戦略はこの意味で間違っています。

リバタリアニズムが政治に乗らないということは、思想としては魅力がないということであり、それは消費財としても魅力がないということです。たとえば朝日新聞は左翼の言ってほしいことを書くことで消費者を満足させています。九条でもワーキングプアでもない一見思想とは無関係に見える記事でもバイアスが掛けられておりそれによって読者を満足させています。しかし所詮大衆新聞であり、あまり極端なことを言うことができません。これは政党と同じです。読者という支持者獲得のため中位に寄っていく傾向を持っています。以上のことはブログにも当てはまります。政治的に極端なことを言っているブログは基本的に人気がないはずです。そして需要がないので書き手も積極的になれないのです。

朝日新聞は高学歴層に好まれることで知られます。一般に高偏差値大学ほど左翼です。またマスコミは一般的に左翼と言えるでしょう。読売は創始者が元警察官僚ということで国家主義が色濃い新聞です。右翼である産経は左翼である毎日よりさらに人気がありません。ちなみに産経の阿比留瑠比さんは私の高校の先輩です。またネットによりグローバル化が一気に進んだ現代は反動的に政治右翼・経済左翼の傾向がありますが、一方で国家主義に反する個人主義の傾向があります。いずれにしてもリバタリアンが好むマスコミというのはありません。ですがこれは逆にリバタリアンという需要をマスコミが発見しなかったということでもあります。)

上の3つの段落を一言でまとめると、リバタリアニズムが理解され、実際に規制が一つ取り下げられることはほとんど誰にとっても利益になることであるのに、私がリバタリアニズムのブログを書くことは需要のない公共財の供給と同じあり、その有用な知識は趣味すなわち自己満足の範囲で小さく表に出てくるだけということです。

さて以上の4段落はリバタリアンブログが悪法の個別ケースをすべて取り上げていくのが難しいということの経済学的理由でした。しかし啓発・啓蒙のためにそれは必要だと思われるのです。そこで今日思いついたことが「クソ規制収容所」というものです。これは低コストで生産されるが価値のある、パフォーマンスの高い財になる可能性があると見ています。

人々に危害を与える悪法のニュースを集め1箇所に放り込んでいきます。収容コストを極力減らすためにその罪を深追いすることはもちろん、それに意見を述べることも基本的にしません。ただ悪法が次々に収容所に入れられること自体で、ご覧になるリバタリアンの皆さんは十分にカタルシスを得ることができると思います。犯罪の情報提供もコメント欄で頂けたらと思います。全体主義をそれ自体のやり方で葬ります。収容数が増え収容所の認知度が上がればキャパシティのある独立した収容所ブログをこちらで設けることも検討しています。また一方で社会に貢献した規制緩和を記念する殿堂も作るかもしれません。収容所には学術的価値もあります。それはリバタリアニズムおよび法と経済学の一つのデータベースあるいはケーススタディ集になるということです。同じことを英語ソースでやり海外のリバタリアンに向けて発信することも考えています。

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