アナルコ・キャピタリズム研究(仮)

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『日常生活を経済学する』紹介その3

第18章「市場の失敗」は「公共財」を扱った最も重要な章である。 全体はtypeAさんが要約している。 http://d.hatena.ne.jp/typeA/20080116 下記ページには元テキストからの引用がある。 http://anacap.fc2web.com/PublicGoodsFallacy.html 元テキストのPrivate Production of Public Goods部分はいずれ翻訳・要約しておきたい。
・「環境汚染」という言葉は、価値中立的な言葉ではない。環境汚染のゼロ発生が理想だとすると、あなたは息を吐くのをやめなければならない。一方に偏った言葉を使うと興味あるすべての問題に気づかなくなる。われわれがしたいと思う事柄のほとんどは利益と費用に関わりがある。あることを「環境汚染」と呼んでしまっては、それが支払うに値する費用であるかどうかわからなくなってしまうし、それが費用であるのか利益であるのかさえわからない。 ・外部効果に関する議論は、市場への政府の介入に都合のよい論拠を探す場合に非常に役立つものだ。(中略)だが、ある行為がある人に外部費用を課しているという事実は、その行為が禁止されるべきであるとか、課税されるべきだということを意味するものではない。すなわち、その行為はおそらく他の人に費用に勝る利益を与えているかもしれないのだ。 ・国民健康保険を支持する人たちは、それは究極にまで推し進められた、すべての人たちを一団体とした、一種の団体保険だと主張する。そこでは、こうした政策を利用する目的でリスクの高い人たちが移民してくることを除けば、逆選択の問題は排除されている。これは大変優れた論拠だが、逆選択を排除することから得られる利益が、そのために政府の行うさまざまな準備にかかる他の費用を相殺できるかどうかはそれほど定かではない。