アナルコ・キャピタリズム研究(仮)

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I, 米

自炊はしない主義なのですが、最近、美味しいお米を農家さんから頂き、自分で炊いてみるかということで、炊飯器を買いました。白米でなく、3分から5分づきの玄米が好みです。食味や品種について調べていたところ、次のサイトを見つけました。まさに「わたくし、鉛筆」のお米版です。 「全てのことには人の手がかかっています。特に米という字は、八十八手の手がかかる。と言われるほど。... 大切に米作りをされ、それを大切に運ぶ人がいて、それを大切に精米する人がいて、それを大切に販売する人がいて...。きっと他にも、農機具作っている人、トラックを作っている人、それらを動かすガソリンを掘ってる人、もぉーたくさんの人がかかって、いまこのごはんの一粒一粒が成り立っている。」(お米 通販.com) 私たちは分業に慣れきっていて(それは良いことですが)、ほとんど気づかないですが、あらゆる商品は、色んな人の手がかかって出来ています。製造の過程で、個々の様々な利己的な動機が知らず知らずのうちに調整され、最終消費物が出来上がっていくのが市場です。お米の一粒にさえ、元をたどれば無数の人の手と財、すなわち知識と技術が関わっている。その下位にはトラクターや精米機、軽油や電気があり、それらを製造する人々がいる。その下には、、、、(延々)。 鉛筆などの比較的単純な工業製品だけでなく、米などの一次的な農産物にさえ、それが消費財となるまでには、たくさんの人の手がかかっているのです。そしてそれらの無数の知識を効率的に集約するのが、あまねく存在する現世の神、すなわち市場なのです。なかなか存在に気づかないのですが。