アナルコ・キャピタリズム研究(仮)

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Against Politics:無政府主義を支持する最大の理由

西のほうでは2人のテレビ出身知事が相変わらずの人気ぶり。

東のほうでは若い市長が2人続けて誕生した。

国政では選挙が近づきネガティブキャンペーンの応酬が毎日のように繰り広げられている。

そんな政治の盛り上がりに水を差すために一つ蔵さんの著作から引用しておきたい。

 私の父は、長い間、地方の小都市で市議会議員をしていた。小渕恵三首相の急死の後、密室での談合で、隣の石川県の衆院議員である森喜朗が首相になった時、彼は「こういう(森元首相のような)奴らは自分のやってることに何の矛盾も感じないで、よっしゃ、よっしゃ、とか言って、毎日、後援会の人たちと楽しく飲み食いできるんだな。そりゃ、すごいことだ。それも一つの才能だな」と愚痴をこぼしていた。

 さて、自分のやっていることのマイナス面を見ないという自己欺瞞のおかげだろう、政治家の多くは、ライバルの責任問題の追及については徹底的である。私は誰でもたたけばホコリの一つぐらいは出るんじゃないか、といった感覚で生きているが、こんな弱気な考えでは自分の道徳性の高さ、清廉潔白さは示せるはずがない。苛烈極まりない他人への口撃をすることによって、鳥やセミ、スズムシのように、有権者に向かって「自分は潔白ですよーー、信頼できる人物ですよーー」と常に歌わねばならない。

 これは生物学では、シグナリング・ゲームと呼ばれる。カエルの鳴き声について考えよう。低く鳴けるカエルは体の大きなカエルである。大きな体のカエルは当然にメスにアピールするために鳴くが、小さなカエルも鳴かないわけにはゆかない。もっと小さなカエルだと勘違いされないためには、鳴くしかない。

 政治もこれに似ている。相手を攻撃しない政治家は、どこかにやましいところがあるのかと勘違いされる可能性がある。それをなくすためには、結局、中傷合戦が行き着くところまで行かざるを得ないのだろう。

 私はこれは、本当にバカバカしい行為だと思っている。常識はずれであることを承知しながらも、私が無政府主義を支持することの、もっとも大きな利点の一つはここにある。政治家が毎日のように飽きもせずに行っている無意味で非生産的な、バカバカしい中傷合戦に代えて、彼らの持つそういった他人のあらさがしをするような高い能力は、もっと別の種類の、真に意味のある生産的な活動に振り向けることができるはずだ。

2009-06-20 ベキダ⇔デアル、5章
http://d.hatena.ne.jp/kurakenya/20090620

Against Politics: Toward a depoliticized society
http://www.againstpolitics.com/
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