アナルコ・キャピタリズム研究(仮)

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正義とは財である2

正義はあまりにも重要であるために金銭的な取引になじまないのではなく、あまりにも重要だからこそ政治プロセスによって強要されるべきではなく、自発的に金銭的な契約によって取引されるべきなのだ。 蔵研也『無政府社会と法の進化』 7、私的裁判と法の私有化、法の進化より
これが結論である。I君はこの第7章をよく読んでみてください。以下は抜粋。太字はanacap。
▼繰り返すなら、たしかに多元的な正義の共存というのは、我々がこれまでに培ってきた直感からは明らかではない。しかし、異なった正義のオークション取引においては、お互いが得をしている。正義を金で買ったほうはその正義を押し通したことに満足し、正義を金で売ったほうは正義をあきらめる代わりに対価を得て、何か別の有意義なものを手に入れることができる。 ▼たしかに正義はお金では買えないというのはある程度納得できる信念だが、ある正義を押し通すためにどれだけのコストをかけるのかという問題になれば、小さな正義には大きなコストをかけるのが割に合わないということもまた、多くの人は納得するだろう。 ▼法制度の適用への入札によって並存する多元的な正義の調停を行うことは、たしかに現代の常識からすれば奇妙な拝金主義のようにも感じられよう。しかし、金銭とは社会において有益なものを他者に提供することによってのみ、得られるものである。このことを考えれば、言下に否定されるほど不条理な制度ではないだろう。 ▼法は「社会正義」を扱うから、社会には一つしか存在し得ないという意味で、複数が並存しえるような通常の商品とは違うのだろうか?いや、真にリベラルな立場の人たちが主張するように、社会正義というものは、人の数だけ異なったものが並存しているのが現実である。かつ第2章で述べたように、おそらく人の遺伝子がそれぞれ異なっており、それぞれが自らのコピーの繁栄をもくろむ存在なのである。このような人間という生物の進化論的基礎付けから考えても、価値観、なかんずく正義感の多様性が存在することこそが自然だろう。歴史に照らしても、明らかなその事実を認めないことから、全体主義的な社会主義の抑圧と貧困が生じてきたのである
(続く)