アナルコ・キャピタリズム研究(仮)

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移民受け入れの是非

最近同僚になったI君と「日本は移民を受け入れるべきか」ということについて議論した。彼は相当に教養のある知的な人物で、驚いたことにリバタリアニズムだけでなくアナルコ・キャピタリズムという言葉も知っていた。

ナショナリストを自認する彼は移民受け入れには反対で、リバタリアンの私は当然賛成の立場をとった。I君は治安が悪くなり家族が危険にさらされる社会は嫌だと言い、私は労働が安く買える、例えば外国料理が安く食べられる豊かな社会が好きだと言った。

私がまずとった論法は、たしかに移民受け入れによって摩擦や争いが生じやすくなるだろう、当然のコストである、だが労働が安く買える結果モノ・サービスは安くなるので、余ったお金で警察力を強化でき、治安はむしろ良くなるだろう、それは今より豊かな社会だ。移民とは輸入である。古今東西貿易が栄えた所は豊かであった。日本では昔の堺や博多などだし、アメリカとイギリスの経済的繁栄は昔の自由な貿易・移民政策の結果である。

だがI君は今より豊かにならなくてもいいのでは、現状維持で結構ではないかと言う。まあそれは個人の好みであるのでいい。しかしそれは政府なり国家によって押し付けられてはならない。そこで私は次のような論法にかえてみた。

外国人が日本にやってきて、やがて定住する。だが彼がやっていることは一連の個人的な自由な交換・取引の積み重ねである。彼はまず不動産屋から紹介サービスを受ける。その後大家さんと賃貸契約を結ぶ。料理屋を開き、お客さんから代金をもらい、その商品を売る。近所のスーパーに行き売ったお金を食料品に代える。蓄財し、家を買い、家族を持ち、子供を学校に行かせる。休みの日は遊園地に行き何かの権利を買い、引退後は投資家として資本を誰かに提供する。移民を禁じるということは、このような日本人を含む個人たちのあらゆる自由な交換を禁じるということである。

(続く)