「効率」を連発する経済学者の説得力のなさ
ふつう労働日が増えるほど追加的な労働は苦になるであろう。「週4日が週5日に増えても、週5日が週6日に増えるのは・・・」と多くの人は思うだろう。
これをすごくわかりにくく言い換えると「追加的一日にともなう総負担の追加的な増加は4日労働のときより5日労働のときが大きい」ということになる。
これをさらに普通の人がわからないよう言い換えると「5単位目の限界費用より6単位目の限界費用のほうが大きい。労働の限界費用曲線は右上がりである」ということになる。
さらにこのことは労働の供給曲線が右上がりであることと同値なのだが、このことを知っている人はまあ1000人に1人もいないだろう。
一般にどんな生産物の供給曲線も右上がりである。このことは中学校でも教えられるのでわりと誰でも知っているのだが、それはせいぜい需要量と供給量が等しくなるところで(マーケットがクリアされて)価格が決まるという文脈の中で丸暗記しているものに違いない。
そこには個人が、人間が出てこない。だいたいにおいて経済学者が「効率的」であるというときは人間の取引がうまく行われていることを意味するのに。(あるもの・あることにおく価値にみんな差がある世界で。)
経済学者が、あるいはアナルコ・キャピタリストが世間に対し説得力をもつには最初の2行レベルの経済学をより現実的で生き生きとした物語の中で語ることだろう。